犯人 コップ1杯 初期仏教
紅葉の繁忙期がようやく終わった観がある。
昨日は昏々と半日ほど眠ったらだいぶ疲れがとれた。
しばらく前に法事があり、読経しているうちにだんだん気分が悪くなってきた…
続けざまに咳が出て、声がかすれ、眼から涙まで出始めた。
時々こういう現象がある。声を出してお経をあげるのが仕事であるから声が出せないというのは非常に困るのである。
法事の前に焼香用の香炭に点火するが、これが原因ではないか…と思いついた。
香炭は炭を固めたものだが、点火しやすいように銀色の塗料が着いている。
この銀色の塗料が燃える時に体に悪い成分が揮発しているのではないか…と気がついた。
数日前の法事で銀色の塗料を刃物で削りおとして使ったら症状がでなくなった。
葬祭ホールでの葬儀が大半だが、特に冬場は乾燥しやすい。
理由はよくわからないが葬祭ホールというのは空気が乾燥していてあまり喉にはよろしくない。
時々独僧で葬儀の依頼を受けるが、最近は前机にコップ1杯の水を置いてもらい、喉を湿す。
しばらく前に独僧で葬儀の依頼があり、事前の打ち合わせで司会者の方に前机に水をコップ1杯置いておいてほしいと頼んだ。
司会者の方は丁寧にも「お水に氷入れますか?」とか「温かいお茶にしますか?」とか聞いてくださったのだが、「普通の水でいいです」とお断りして、いざ葬儀が始まったら…
机の上には何も置いてなかった…
あれだけ丁寧に尋ねておいてなんでやねん!とつっこみたくなった。
案の定というか途中で声がかすれてしまい往生した。
しばらく前に地元の高専で古代インドの仏教や上座部仏教の研究者である馬場紀寿氏が講演されるというので是非にでも聴講したかったのだが、紅葉の繁忙期だったために断念。
思いがけず講演の翌日に馬場氏が参拝にこられた。
あいにく団体参拝とかさなりゆっくりお話を伺うことができなかったのが残念だが、いろいろと貴重な示唆を頂くことができた。
後日、わざわざ著書である「初期仏教 ブッダの思想をたどる」(岩波新書)と論文をご送付頂いたので楽しく読ませて頂いている。
中村元先生を始めとする初期の仏教の研究の成果が日本の仏教者の知見の基にあるのは間違いないのだが、近年、最初期の仏教の研究は更新され続けているようである。
本書はそうした最新の成果を分かりやすくいろいろな角度から解き明かしてくれる。
一言で言えばこれまでのお釈迦様のイメージを少なからず修正する必要があるということである。
地方寺院の住職として細々と法務に携わり、さらにはささやかな修道の楽しみを得て暮らしているが、仏教研究の最先端の部分にはどこかで接点を保っていないと方向を見失い危険がある。
この時代に情報はあまりにも多いが、そのなかで大切なもの、有益なものをふるい分ける必要がある。
新書で手軽に最新の釈尊像に触れられるというのは望外の喜びであり楽しみである。