年号間違い 流行りのサバ缶 悩ましき鬼
新しい年号は何になるのだろうか。
お寺的に困るのは長年使った「平成」という年号い慣れてしまっていて、年号が変わった後も御朱印の日付にうっかり「平成」と書いてしまいそうなことである。
多分、日本全国のお寺でこうした年号違いが起こるに違いない。
サバ缶が流行っているらしい。
妻がネットで見つけたレシピでサバ缶料理を作ってくれた。
ネギ、ごぼうをごま油で炒めて、そこへほぐしたサバ缶を投入し調味する。
調味料は味噌、砂糖、醤油など。
普通に料理される方なら大体の見当ですぐに作れそうな料理だが、
これが実に実にご飯に合う!
私は一味をプラスしたが、生姜なども加えたらきっと美味しいに違いない。
“鬼”について調べ物をしていて密林の古書で注文した笹間良彦「鬼ともののけの文化史」(遊子館)が届いた。
鬼というのは調べるほどよく分からない…難解で不思議であり、魅力的な存在である。
最もポピュラーな妖怪変化であるためにこの世ならざるもののほとんどの要素が混入して形作られているようである。
江戸時代のことわざに「下戸と鬼はない」というのがある。
<鬼が実在しないように>本当に酒の飲めない下戸はいないということらしい。
江戸時代には既に鬼はフィクションのかなたの存在をみなされていたのだろう。
鬼のイメージの源泉のひとつは仏教であり、獄卒として亡者を苛烈に苛む存在であるとされる。
獄卒としての鬼は元々、インドの悪鬼、羅刹の類である。
人を害し、人肉人血を飲食する恐ろしい存在が仏教のなかで恭順的な位置に置かれ、仏教を外護する存在となった。
思うにこうした悪鬼、羅刹以外の天部の仏像も鬼のイメージの形成の大きくかかわったのではないだろうか。
山門の仁王(金剛力士)や風神雷神などは鬼のイメージの形成に大きく寄与したのではないかと考えている。
これらは裸形(力士形)として腰に獣皮をまとう姿で手に金剛杵を持つ。
特に仁王は体躯の大きな偉丈夫であり、朱色の肌、金剛杵を携えた恐ろしげな姿は鬼のイメージに大変に近いと感じる。