数珠あるある  中に浮く話

 

 

知り合いからメールを頂いた。

 

 

仏事で数珠は必要か?

 

というご質問だった。

 


以下のように回答した。

 

 

 


お数珠についてご質問の件ですが

 


『あったほうが良いが無くても全然OK』というところでしょうか。

 


数珠は本来は真言など多数を沢山唱える際に回数を数える際のカウンターです。

 

 

一般の方は真言をカウントする必要もありませんし、“儀礼的アイテム”といっていいかと思います。

 


それを持っておられるというのは宗教に関するマナーを心得ておられるという意味で望ましいかと思います。

 


『お坊さんアルアル』ではイザ法事を始めようとすると‥「数珠がない!」「数珠忘れた!」「数珠取ってきて!」みたいな会話が始まりバタバタして当方のモチベーションが下がる‥というのがあります。これはできたら無いほうがいいです。無いなら無いでOKです。申し上げにくいですが‥私もたまに忘れます(苦笑)

 

 

 

数珠を儀礼的アイテムと表現しましたが数珠というのは在家の方も僧侶も共に持っているものですから仏教徒としての自覚を持つきっかけにしていただければと思います。

 

 

数珠を持つことからはじめて、在家用の勤行集や半袈裟のような物を求められてもいいかと思います。菩提寺で在家勤行の経本や半袈裟などを頒布されているところも多いですね。数珠と経本、袈裟などを揃えて仏教徒としての自覚を持たれたら、いろいろなお寺に参拝して般若心経などのお勤めをされたらどうでしょうか。

 

 

形に縛られる必要はありませんが、まずは形から入り、なぜそれが大事にされてきたのかを一度考えてみることは大切だと思います。

 

 

※ 何かご質問がございましたらお気軽にお寄せくださいませ!

 

 

 

 

 

龍樹 (講談社学術文庫)

龍樹 (講談社学術文庫)

  • 作者:中村 元
  • 発売日: 2002/06/10
  • メディア: 文庫
 

 

 


中村元「龍樹」を買うか買うまいか迷いながらアマゾンのサイトを見ていたら

 

 

「中論」関係の書籍が表示されていた。

 


なぜか最後にフィギュアスケート羽生結弦さん関連の本が何冊か表示されている。

 


「中論」とフィギュアスケートの関係とは‥

 


ものすごくモヤモヤして

 

 

フィギュアスケート→中に浮かぶ→中論

 

 

まさかね‥

 


気になって調べたら

 


羽生さんの対談相手が

 

日野龍樹(ひのりゅうじゅ)さん

 

 

というフィギュアスケートの選手だったこと

 

ようやくすっきりした。

 

名前の由来はまさに「中論」を表した高僧龍樹からとられたというから二度びっくりである。