会議の後で数多の仏に出逢う
年末に多いものといえば会議。
この2週間で7,8回の会議に出席している。
お寺の役員会、PTAの会議、霊場会の会議などなど…
一昨日は京都ににて霊場会の年度末総会に参加。
会場は京都駅直近のホテル。
早めにホテルに到着したので遠方から参加される住職さんたちのために会場近辺を下見。
目についたのが京都タワー。
地下に大浴場があると聞いたのでホテルのユニットバスに物足りない方にはオススメしてみようか…と下見にゆくことにした。
京都駅の真ん前にあるのが京都タワーである。燭台をモチーフにした外観は京都弁で言うところの“もっさり”した感じ。
昭和の薫り漂うあまりイケてない建物だという記憶しかなかったのだが中に入ってみると…
いつのまにか“KYOTO TOWER SANDO”という名称でリニューアルしていた。【】
地下にはフードコートができ、タワーの屋上はカフェやバーになっている。
フードコートがかなり元気のいい感じで再訪したくなった。
KYOTO TOWER SANDO 2017.4.14 OPEN (1st floor)
総会は無事に終了し昨日は他の御住職方と京都市内を見学。
最初に訪れたのは三十三間堂。
三十三間堂は誰でも知っている名刹だが、有名すぎて中高生の頃に修学旅行で訪れたのが最後という方も多いのではないだろうか。
【公式サイト】http://www.sanjusangendo.jp/
何十年ぶりかで訪れた三十三間堂は昔の人々がここに仏の世界を再現しようとしたことがはっきりと感じられる素晴らしい空間だった。
本尊千手観音坐像の圧倒的な存在感とそれを取り巻く仏像群の織りなす仏の曼荼羅世界である。。
案内していただいたお坊さんは私とあまり違わない年齢にお見受けしたが自分のことを「拙僧」と言われていた。
拙僧…
カッコイイ!私も今度使ってみようかな…
三十三間堂の後、斜め向かいにある養源院へ。
養源院というお寺をご存知だろうか?
「チテンジョウで有名なお寺です」と同行した御住職は教えてくださったのだが、
「チテンジョウ」とは「血天井」。
なんと血塗られた天井のあるお寺なのである。
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが伏見さらに城を死守して最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたものである。
武将たちの残した血痕が回廊の天井に黒い文様となって延々と続く…
中には手形らしきものもあり、鳥居元忠の倒れ伏した血痕とされものもある。
殉じた武士の供養のために俵屋宗達が本堂の随所に描いたとされる象、唐獅子、麒麟などの絵画も現代絵画のようなモダンで洗練された印象を受ける。
玄関の杉戸に書かれているのは2頭の獅子。その扉を開けた向こうには白象が2頭。
はて…どこかで見た記憶が。
山寺の本堂の向拝(本堂の屋根が張り出した入り口部分)の部分に獅子が彫られていて、参拝者はまずこの獅子と眼が合う仕組みになっている。さらに柱の両側には象が彫られており、参拝を終えて向拝を通る参拝者は象と眼を合わせる仕組みになっている。
「迎え獅子に送り象」とでもいうのか、同じことを俵屋宗達は試みたに違いない。当山の本堂は1840年頃建てられたものだが、おそらく江戸時代にはこの発想はごく一般に受け入れられていたに違いない。
三十三間堂の1000体を超える仏像に織りなされ人間世界を超越した仏の世界であるとするなら、養源院は絶名した多数の武士を慰霊する人々の深い、重々しい気持ちのこもった弔いの場である。
この対照が強烈な印象を残した。
三十三間堂にあるのは1000体の千手観音様だが、養源院に弔われている徳川の武士達も1000人余りとされる。
1000という数の符号は偶然だろうか。どこかで誰かが1000人の武士が1000体の仏に救われるという発想を抱いた人物がいたのではなだろうか…ふとそんなことを考えた。
三十三間堂の通し矢という武芸にちなむ行事も武士の供養という考えてはどうか…いつものように妄想は続く。
たまには京都散策も楽しいものである。