情けない 漆かぶれ 節分祈願祭
子供が見ていた「妖怪ウオッチ」に不動明王というキャラが出てくるが
不動明王様が強い妖怪にあっさり負けてた
お不動様が妖怪と横並びのキャラとは情けない…
先月、漆の木を伐採したら激しい漆かぶれに遭遇。
右の顔半分が腫れ、右の視界にもりあがった自分の頬が入ってくるまでになった。
うるしかぶれの民間療法を探すと…
『サワガニを潰して傷に塗る』
子供の頃は沢山居たサワガニもめっきり少ないし、しかも…
メチャクチヤくさいらしい…
鍼灸の大家代田文誌の著書の中に手首の神門というツボにお灸したらひどい漆かぶれが3日で治ったとある。くるみの油が良いとも書いてあった。
よく読むとたまたまその患者さんにはそのツボが良かったらしいと判明。
外にもいろいろ書いてあるかぶれに効くとされるツボが自分ではお灸するには難しそうな場所だったのであきらめて市内の皮膚科へでかけ内服薬と塗り薬を処方してもらった。(皮膚病に効くとされる曲池というツボを押すと明らかに反応があったのは興味深かった。)
初診の時は皮膚科の看護婦さんもドン引きの面相だったが先生も感心するくらい順調な回復で顔つきがだいぶ元にもどった。
昨日2月3日は節分祈願会。
狭い本堂に50人ほどのお参りがあるが檀家の少ない鄙寺にとってはなかなかの大行事である。
激しい漆かぶれに遭遇し、節分の準備もだいぶ滞ってしまった。
年中行事の参加者も受け入れる側も高齢化が進みこれからどのくらいこうした年中行事を続けられるか心配ではあるが、多くの人の願いを仏前で祈願するというのは身の引き締まる思いがする。
法要では寄せられた祈願を一願ずつ仏前でよんでゆく。
「先祖供養」「商売繁盛」「病気平癒」「交通安全」…
数ある祈願のなかに「帰命頂礼」と書かれたものがあった。
「帰命頂礼」というのは自らの頭を地面につけて深く礼拝するくらいの意味で使われる言葉であるが、「命に帰る」という言葉が印象に残った。
この場合の<命>とは大生命のことになるのではないか。
聖書のなかに「命を捨てざれば命を得ず」とある。
命を捨てることで命を得るというのは一見矛盾しているが、個人としての生命を超えることで大生命とひとつになるということではないだろうかと考えている。
大生命とは永遠の生命と言い換えることができるかもしれない。
仏に向かうとはこの大いなる命に向き合うことだと思う。
自分にそれだけの資格がるのか、そのような力があるのか…大小の仏事を行う度にそのことが頭に浮かぶ。
只々帰命頂礼し、心を虚しくして仏とひとつになりたいと願うばかりである。