氷河期の僧侶

 


知り合いの御住職が家族連れで○ッパ寿司の出かけたそうである。

 


子供連れだと○コスか○ッパ寿司、○シロー…くらいしか無いですよね…(苦笑)

 

 

こういうお店に置いてあるのがお約束のガチャガチャ。

 


ガチャガチャもいろんな種類があって子供だましみたいなものからいい歳のオッサンちょっと欲しいかも?と思うようなものまでいろいろと種類がある。

 


その中に『氷河期の僧侶』というのがあったそうです。


“座禅を組んでいるお坊さんに雪が分厚く積もっている”
“托鉢しているお坊さんに雪が分厚く積もっている”
“廊下で雑巾がけの作務をしているお坊さんの上に雪が分厚く積もっている”

 


というシュールなフィギュアだったそうである。

(ネットで「氷河期の僧侶」と画像検索するとちゃんと出てきます)

 

 

その方が思わず欲しくなってひと回しすると出てきたのは

 

“座禅を組んでいるお坊さんに雪が分厚く積もっている”フィギュア


で、

 

もうひとつ欲しくなりひと回しすると…

 

また

座禅を組んでいるお坊さんに雪が分厚く積もっている”

 


ダメ押しでもうひと回しすると

 

 

またまた

 

 

“座禅を組んでいるお坊さんに雪が分厚く積もっている”

 


その御住職は禅宗の方だったので、これは何かのメッセージに違いないと最近は座禅に励まれているそうです。

 


立派ですよね…

 


(ちなみに次回そのお店に行くともう『氷河期の僧侶』のガチガチャは置いてなかったそうである。)

 

 

おみくじを引きたいという方が時々お寺に来られる。

 

見ていると大半の方は「大吉だ!ラッキー」とか「小吉…残念」みたいに吉の大小しか見ておられない。

 


そういう場合は声をおかけして「おみくじの最初に書いてあるメッセージの部分が神仏から頂いた言葉と思ってよく読んでみてくださいということが多い

 

するとかなりの方が心に響くとか自分にぴったりと言われたりすることがある。

 

心の持ち方というのは大切だなと思うわけです。

 

 

おなじおみくじであってもその場で一喜一憂するだけのもので終わるのか、ほんのひとときでも自分の今を振り返る機会とするか。

 


一念の差であると同時に、その一念の違いが積り、重なっていけばまた違う人生の扉が開くことがあると感じる。

 


ガチャガチャのフィギュアを見て座禅に励むような方というのはそういう立派な機根を
持っておられるのだと思う。自分もそうなりたいな…と思ったのでありました。